奈良公園には多くの鹿が生息しています。
鹿といえば立派な角が特徴ですが、毎年秋になると角切りが行われ、10月には一般公開されています。
ところで、この角切りって鹿は痛くないのでしょうか?
また、どのような理由で行っているのでしょうか?
角を切って鹿は痛くないの?
鹿の仲間のトナカイは雄、雌ともに角が生えていますが、鹿では角が生えるのは、雄だけで、雌には生えません。
しかし、雄鹿の角はずっと生えているわけではなく、毎年春先の2~3月頃になると、自然に抜け落ちてしまいます。
しかし、抜け落ちた後、新たに夏に向けてまた、生えてくるのです。
ただ、 最初はかたい角ではなく、袋角(ふくろづの)という表面はまるでビロードのような毛が生え、触ると柔らかく、温かく感じます。
袋角の内部では、大量の血液が流れ込み、カルシウムがどんどん溜まって、角が成長していきます。
この時期の角は神経が通っていて、角をぶつけたりすると鹿は非常に痛みを感じます。
このため、この時期の雄鹿はおとなしくしていて、他の鹿と争うことはありません。
鹿の角は成長するにつれて、固くなっていきます。
角が完成する頃には、血管も神経も通っておらず、皮膚ははがれ落ちます。皮膚をはがすために、鹿は木の枝などで角をこすりつけるような行動をします。
そして夏の終わり頃に角は完成します。
鹿の角切りが行われるのは、角が完成した秋以降に行われるため、この頃は、人間が爪を切っても痛くないように、鹿は角を切られても痛くないのです。
角の形状で鹿の年齢が分かる
角の形状は、鹿が年齢を重ねるごとに枝分かれしていきます。
角は大体1歳頃から生え始め、はじめのうちは枝分かれせずに、1本の状態で伸びていきます。
次の年の春先に、抜け落ちて新しく生え始めます。この年の角は2又に枝分かれします。
翌年に生え変わった角は、3又に、そして次の年には最終的な4又の角になります。
ですから、角の形状により
・角が四又に分かれていれば4歳以上
・三又ならば3歳
・ニ又なら2歳
・分かれていなければ1歳
ということになります。
角は抜け落ちるのになぜ角切りを行うの?
角が完成する頃、雄鹿は発情期を迎えます。
雌を獲得するため、角を武器に他の雄鹿と争奪戦をくり広げます。
発情期の鹿は非常に気性が荒くなり、危険を伴うことがあるので、観光客や周辺の住民が怪我をしないように、角切りが実施されるのです。
鹿の角切りは奈良の伝統行事
鹿の角切りは江戸時代(1671年)に始まり、奈良の伝統行事となっています。
江戸時代には、鹿の角が町民に害を与えたり、鹿どうしがお互いに角を突き合わせて死傷したりすることが多かったため、1671年に当時の鹿の管理をしていた興福寺が、奈良奉行立会いのもとに行ったのが鹿の角切りの最初だと伝えられています。
1928年には、現在のような角切り場を設け、年中行事として開催されるようになりました。
現在は、10月の第2月曜日の体育の日を含む土、日、月曜日の3日間は一般公開されています。場所は、春日大社境内の鹿苑(ろくえん)角切り場です。
当日は、観客席のある特設会場が設けられて、ハッピに鉢巻き姿の勢子(せこ)と呼ばれる人たちが赤い旗の付いた竹竿を使って、会場内に鹿を誘い込み、角に縄をかけてゆっくりとたぐり寄せて、数人で鹿を押さえ込みます。
烏帽子(えぼし)を被った神官役の人が、興奮した鹿に水を飲ませて落ち着かせた後、のこぎりで角を切り落とし、神前に供えます。
鹿を数人がかりで抑え込んで、のこぎりで鹿の角を切るこのやり方は江戸時代から変わっていないそうです。
奈良公園には、多くの雄鹿がいるので、一般公開の時だけでなく、9月くらいから3か月ほどかけて、角切りが実施されています。
切った角はどうするの?
切った鹿の角は、商品として販売されています。
春日大社近くにある奈良の鹿愛護協会事務局やそのホームページから購入することができます。
奈良公園の鹿は野生ですが、病気の鹿、交通事故などで怪我した鹿、妊娠している鹿、生まれたばかりの赤ちゃん鹿、奈良公園周辺から遠く離れた場所へ行き、農作物を荒らした鹿などが春日大社の近くにある鹿苑という保護施設で収容されています。
ここの運営にかかる維持費に、鹿の角の売上金は充てられています。
まとめ
角が生えている鹿は、雄のみで、雌に生えません。
角は、春先に自然に抜け落ち、その後、夏の向けて角が新しく生え、夏の終り頃に完成します。
角が完成した頃には、雄は発情期を迎え、気性が荒くなり、観光客や周辺住民に危害を加える恐れがあるので角切りが行われます。
角は成長している時は、血管や神経が通っていますが、角が完成すると血管や神経は通わなくなっているため、角を切られて痛みを感じることはありません。
鹿の角切りは、9月くらいから3か月ほどかけて実施され、10月には一般公開されています。