20世紀を代表する物理学の巨匠と称されるアインシュタイン。
彼の脳は通常の人々とは異なる多くの特徴を持っていると、今も研究が進められています。
このような「天才」と呼ばれるアインシュタインの遺伝子を引き継いだ子供たちは、どのような人物に成長したのでしょうか?
そして、彼の子孫は存在するのでしょうか?
アインシュタインの子供たち
アインシュタインには子供が3人いました。
長男はハンス・アルベルト・アインシュタイン、次男はエドゥアルト・アインシュタイン、そして長女はリーゼル・アインシュタインです。
それぞれのアインシュタインの子供たちについて、一人ずつ見ていきましょう。
ハンス・アルベルト・アインシュタイン(長男)
1904年、アルベルト・アインシュタインとミレヴァ・マリッチの間に、彼らの長男が誕生しました。
彼の父は著名な物理学者であり、母親もチューリッヒ工科大学で学び、その学位コースにおいて唯一の女性学生でした。
両親は共に知的で才能に溢れていました。
そのような両親から受け継いだ才能を持つハンス・アルベルト・アインシュタインは、カリフォルニア大学バークレー校で水理学の専門家として活躍しました。
彼は特に開水路における流砂の動き、とりわけ掃流砂の移動パターンに関する研究で知られ、「アインシュタイン型掃流砂量式」を提唱しました。
カリフォルニア大学は彼の業績を称え、水工学の名誉教授の称号を授与しました。
1988年には、米国土木学会が彼の名を冠したハンス・アルバート・アインシュタイン賞を設立しました。
エドゥアルト・アインシュタイン(次男)
1910年、アルベルト・アインシュタインとミレヴァ・マリッチの家庭に次男が誕生しました。
彼は学業に優れ、音楽の分野でも才能を示しており、精神医学の道を志し医学部に入学しました。
しかし、20歳の頃から統合失調症の症状が現れ始め、初めての発作から2年後には精神病院への入院を余儀なくされました。
エドゥアルトの病状が悪化した原因は、過剰な薬物治療と、入院中に受けた数々の「治療」にあるとされていましたが、兄のハンスは、彼の状態を深刻化させたのは電気ショック療法だったと述べています。
病気が進行した後、エドゥアルトは父アルベルトに対して憎しみを抱き、アルベルトはその後、彼と再会することはなかったようです。
一方で、母のミレヴァは彼女が亡くなる1948年まで息子の世話を続けました。
母の死後はチューリッヒ工科大学の付属精神病院で生涯を終えました。
1965年に脳卒中で亡くなったエドゥアルトのケースは、後に統合失調症に対する理解を深めるのに寄与したとされています。
また、父アルベルトが「天才」であったことから、彼の病歴は医学的な研究の対象ともなっています。
リーゼル・アインシュタイン(長女)
長い間、アインシュタインにはハンスとエドゥアルトの二人の子供がいるとされていました。
しかし、1980年代に入り、彼の書簡から、後に妻となるミレヴァとの間に、恋愛関係にあった時期に子供がいたことが明らかになりました。
この子供は1902年に誕生し、アインシュタインとミレヴァが正式に結婚する1903年の前のことでした。
生まれた女の子は「リーゼル」と名付けられましたが、アインシュタインは彼女に一度も会うことはありませんでした。
1902年には、ミレヴァはノヴィ・サド(当時のオーストリア=ハンガリー帝国、現在のセルビアにある都市)の実家で出産しました。
その時、アインシュタインはスイスのベルンにいました。
ミレヴァの手紙からは、出産が非常に難産だったことが伺えます。
1903年9月19日付けのアインシュタインからミレヴァへの手紙に、リーゼルに関する言及が初めて見られます。
しかし、その後、アインシュタイン、リーゼル、マリッチの運命について知る人は誰もいませんでした。
一部の説では、リーゼルは生後間もなく養子に出され、1903年9月に猩紅熱(しょうこうねつ)に感染し亡くなったとも言われています。
アインシュタインの子孫
アインシュタインの長男、ハンス・アルベルト・アインシュタインの子孫たちは、現代においても活躍しています。
それでは、彼らについて詳しく見ていきましょう。
ハンス・アルベルト・アインシュタインの子供たちは以下の通りです。
ベルンハルト・ツェーザー・アインシュタイン(1930〜2008):物理学者
イブリン・アインシュタイン(1941〜2011)
クラウス・マーティン・アインシュタイン(1932〜1938)
そして、ベルンハルト・ツェーザー・アインシュタインにも子供がおり、彼らはアインシュタインの直系の子孫にあたります。
トーマス・アインシュタイン(1955年生まれ):麻酔専門医
マイラ・アインシュタイン
これらの人物はベルンハルト・ツェーザー・アインシュタインの子供たちで、現在も生存しています。
物理学者から麻酔専門医に至るまで、アインシュタイン家の遺伝子は多岐にわたる分野でその影響を与えています。
アインシュタインと息子の確執
偉大な物理学者であるアインシュタインも、私生活においては女性問題でトラブルがあったようです。彼はチューリッヒ工科大学時代からの恋人であったミレヴァと、1919年に離婚することになりました。
この離婚の引き金となったのは、アインシュタインが再従姉のエルザに恋愛感情を持っていたことがミレヴァに知られてしまったことでした。
この事実が明らかになった数ヶ月後、ミレヴァは長男と次男を連れて、当時住んでいたドイツのベルリンからスイスのチューリッヒへと引っ越し、夫婦は実質的に別居することとなりました。
この別居状態は5年間続き、最終的に1919年に離婚が成立しました。
アインシュタイン大激怒
この出来事は、アインシュタインと彼の長男ハンスの間に深い亀裂を生じさせました。
ハンスは、母親を捨てたことで父を非難し、一方のアインシュタインも、ハンスがフリーザ・コネクトという女性との結婚を進めることに強く反対していました。
1927年、ハンスは自分より一歳年上の女性に心を奪われましたが、アインシュタインにとっては魅力を感じない女性でした。
ハンスの恋愛に対して、父アインシュタインは激怒しました。
そして、アインシュタインは二人の関係を呪い、花嫁が彼の息子ハンスを利用する狡猾な女であると周囲に言いふらしました。
しかし、これらの試みが無駄に終わった時、アインシュタインは「せめて子供を作らないでくれ」と懇願したと言われています。
その背景には、離婚がより複雑になることへの懸念がありました…
現代でも離婚は複雑な問題ですが、子供がいる場合は親権問題などさらに難しくなります。
自身も不倫で離婚した経験のあるアインシュタインにとって、黙っているわけにはいかなかったのでしょう。
しかし、悪口を言いふらしたり呪いをかけたりするなど、天才の行動は時に理解しがたいものがありますね。
まとめ
アインシュタインには3人の子供がいたが、そのうちの一人は私生児でした。
彼の孫や曾孫たちは現代でも活躍しています。
アインシュタインの私生活、特に女性関係はあまり上手くいっていませんでした。
偉大な物理学者を父親、または祖父に持つというのは、どのような感覚なのでしょうか?